私のブルガリア体験:ブルガリアに行かれた方の体験談や最近のブルガリアの様子などをご紹介します。

■   連載中   中村 靖 氏 : 我が音楽人生 ③  (神静民報)

            ③「ブルガリアでの生活が始まった」

 ブルガリアはだいたい北海道と同じくらいの緯度にある。標高は、首都ソフィアで550m。僕の住んでいる箱根で
言うと強羅くらいだ。水が冷たくて美味い。水道水をそのままで一年中氷水。「冬は寒い。マイナス20℃になる
こともある」と在日ブルガリア大使館でも聞いた。留学当初は何をやるのでも矢島君に相談した。
「矢島君。栓抜きどこで売ってますか?買いたいんですが」
「あッ、中村さん、一人で行ってもわけがわからないですから、一緒に行きますよ」「いや、矢島君、明日は
大学でしょ?」
「いやいや気にしないでいいんです」
「でも大学休ませるようなことじゃないですから」
「気にしないでいいんです」「あそうですか」という感じで、食事のことも
「朝起きたら僕の部屋に来てください。朝飯一緒に食いましょう。僕の部屋は鍵かけてませんから、いつでも
来てください」なんだか十年来の知己のように長い時間を政治の話、ブルガリア社会の話、異性の話と何時間も
一緒に過ごした。
毎日の食事はストールと呼ばれている食堂(ストール)で食べている。昼はスープ、メインディッシュ、デザート、
食べ放題のパン。夜はこのメニューからスープが無くなる。昼も夜も50ストチンキ(日本円で50円)。ストチンキは
補助通貨。アメリカで言ったらセント。その上はレヴァ。1レヴァは約100円。これは公定レートではなく
闇レートなんです。公定レートは1ドル=1レヴァ=二百七十円、闇レートだと1ドル=3レヴァ=九十円。
後の計算は読者に任せましょう。外貨を持てないブルガリア人は闇で西側の人間から外貨を買い、コレコムと
呼ばれるドルショップで買い物をする。このため僕たち留学生はその恩恵を大いにこおむったというわけだ。
まあとにかく物価は安く、路面電車は1回七円。果物も野菜も夏場は1キロ二十円。これが寒くなるにつれ、
市場から姿を消してゆく。当然どんどん値上がりし、1キロ百円位まで上がる頃、ついに野菜も果物も市場から
無くなる。そんな市井の風景をよそ目に秋はたけなわとなり芸術の香り高いソフィアの街は色めいてくる。
オペラハウスの開幕があり、ソフィアの音楽シーズンが始まる。街路樹は黄色く染まり、実に美しい。そんな中で
九月から始まったレッスンは声楽の個人レッスンと室内歌曲、演技のレッスン。それに巨匠ナイデノフ先生の
オペラ全曲の厳しいレッスン。巨匠のレッスンのために音楽院ではなくオペラハウスに通う優越感。自信満々で
生きてたな〜、あの頃は。ナイデノフ先生のレッスン中に彼がその昔ウィーンやザルツブルグで勉強していた頃の
話がとても興味深く、R・シュトラウス、トスカニーニ、フルトヴェングラーなどの練習に潜り込んで聴いた。
という話とかたくさん聞いたが、一番はなんと言ってもプッチーニのオペラ「トスカ」をウィーン国立歌劇場で
聴いた時の話。「あの時は、スペインのソプラノがトスカを歌ったんだ。歌も良かったし美しかった。でも、
そんなことより僕の斜め前の席にプッチーニ本人が座っていたんだ。これが一番感動した」そんな話をしている時に、
僕のメサイアの話をしたら、その時の指揮者ハンス・レーヴライン氏とナイデノフ先生はウィーンで一緒に勉強して
いた仲間だったことがわかり、これには不思議な繋がりを感じた。ナイデノフ先生のこのシーズンは、モーツァルトの
「魔笛」とムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」当時のナイデノフ先生は八十一歳。三時間余りを軽快に指揮して
いたのを覚えている。僕の出演した初めてコンサートは十一月十六日。ブルガリアの国会の建物の隣の「将校クラブ」
でのコンサート。同じ門下の超美人ソプラノ・ナディア・ツヴェットコヴアと一緒に出て、彼女はオペラ
「ディノーラ」からアリアを、僕はオペラ「ルチア」からアリア、それに二人でやはり「ルチア」からデュエットを
歌った。だいたいどこからその建物に入るのか?どこが控室かなど、言葉はまるでわからないから本当に嫌々ながら
行った。懐かしい思い出だ。しかし残念なことに美人ソプラノ・ナディアは一緒に受けた1984年のブルガリア国際
コンクールを一次予選で落ちて、その後、ウィーン・フォルクスオーパーの専属になり活躍が期待されたが。
三十歳を前に癌で他界した。美人薄命という諺を地でいった感じだ。僕の好きなタイプではなかったが、いつまで
見ていても飽きない美しさがあった。今回はブルガリア音楽界に足を踏み入れた最初の話。さて次回は三年に渡る
ブルガリアでの音楽活動や勉強の事を手短に書きましょうか。


 * ブルガリア国立音楽院を終了され帰国後は藤原歌劇団、日本オペラ協会、新国立劇場を中心に活躍された
中村靖氏のブルガリアでの生活を寄稿された記事が、静岡県西部の地域新聞「神静民報(しんせいみんぽう)」に
掲載中です。

中村靖氏「我が音楽人生」シリーズ (「神静民報」に連載された記事を再録しています。)
①「昭和音楽短期大学からブルガリア国立音楽院へ」
②「ブルガリア国立音楽院に入って」
③「ブルガリアでの生活が始まった」
④ 「ブルガリアという国」
⑤「ギリシャでの出会い」
⑥「いよいよヨーロッパデビュー」
⑦「いざ出陣!」
第8回 は2023年7月15日版に掲載されます。
            
中村靖 (なかむらやすし) 昭和31年、神奈川県生まれ。バリトン歌手。
昭和音楽短期大学声楽科卒業後、ブルガリア国立ソフィア音楽院修了。帰国後は藤原歌劇団、
日本オペラ協会、新国立劇場を中心に活躍。昭和音楽大学講師、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部講師、
日本演奏家連盟会員、日露音楽家協会会員、日本ブリテン協会理事。箱根町在住。
喜仙荘代表取締役